
言葉も文化も習慣も違う異国の地に来て、伝統を積み重ねて来た特殊なしきたりの中に飛び込んで「グランドチャンピオン=横綱」をめざすということは、並大抵の苦労ではない。大きな体で大きな夢を掴むべく、日本人力士以上に研鑽を積む人一倍ひたむきな背中には、角界の貴公子たる品格以上に、一歩も退かぬ“勝ち気”がみなぎっている。初優勝を手にし、いよいよ最高峰へと挑むヨーロッバ出身人気大関の研鑽の軌跡。
生まれた時から体が大きく、同学年の子どもたちと比べても特に目を引く存在だったカロヤン少年。小学生の頃レスリングと出会い、16歳でジュニアのブルガリア代表に。スポーツ専門の名門校に進むと、さらにずば抜けた強さを発揮し、オリンピックでメダルを期待されるほどの存在となった。その快進撃を止めたのが、男子レスリングの体重別規定の見直し。
「体重制限が変わって、レスリングを続けるなら一生ダイエットし続けなくちゃいけなくなった。それはムリと諦めたよ。最初に日本に来る時は、相撲の世界は一生好きなだけ食べられるぞって言われて(笑)。でも、まさか日本に来て自分が力士になるなんて、全然考えてなかったよ!とにかく、相撲のことなんて何も知らなかった。しきたりとかも知らない状態で部屋に入ったね」。 外国から来た力士は皆同じ、「1人でがんばる」。 ![]() 今や幕内力士の4人に1人が外国人という角界だが、外国人力士は原則1部屋1人と決められている。佐渡ヶ嶽部屋に単身飛び込んだものの、言葉も習慣も何もわからない、食べ物も口に合わない。故郷のブルガリアに帰りたいと何度思ったか。でも、琴欧洲関には帰れない理由があった。交通事故で大ケガをして働けなくなった父のためにも、1日も早く幕内入りして仕送りできるようにならなくては、と踏ん張った。「部屋に自分以外に外国人の先輩がいるわけじゃないし、アドバイスなんて受けないよ。みんなそうじゃないですか、みんな1人でがんばる。いくらアドバイスがあっても自分自身でがんばって乗り越えていくしかないよ!どこまでガマンができるかが勝負、できなければ帰る。でも、自分は家族を助けなくてはならなかったから」。 先代親方の遺志を刻み、現親方の胸を借りて成長。 “異例のスピード出世”と言われた大関昇進だったが、その翌年の2006年は、右ひざ、右足首を痛めるなどの不調もあり、成績がふるわず苦しんだ。四股名も琴欧州から“琴欧洲”に改名して再起をかけるが、結局優勝争いに加わる結果を出すには至らなかった。周囲からも「プレッシャーに弱い」と精神面を指摘されるなど、相撲人生で最初の挫折を体験ー。佐渡ヶ嶽部屋の先代親方(元横綱・琴櫻傑將)も、彼の復活を気にかけたまま2007年8月逝去した。それから1年も経たずして、見事13勝1敗で初優勝を手にした。
「先代や今の親方に言われて来たことに、やっと自分で気がついて結果に繋げることができた。とにかく、親方の細かい指導をちゃんと聞いて、ひとつひとつ場所ごとに自分の相撲をしっかりとれば、結果に繋がると思っていた。勝つごとにプレッシャーがなくなり、気がついたら連勝していた」。
初優勝をいちばん喜んでくれた、家族とファンのために。 ![]() 長かったスランプから一転、手応えのある“勝ち”を噛みしめるように星を重ね、大杯を手にした夏場所。升席で立ち上がって拍手を贈る父の姿も、大きな喜びとなった。続く7月場所では9勝6敗での勝ち越し。優勝と言う貴重な経験を経て、いよいよ待ち構える大きな目標が25歳の大関の意欲をさらに駆り立てる。 自分の相撲の結果が、日本と世界を結ぶ架け橋に。 ![]() “琴欧洲”という四股名で大活躍するこのブルガリア出身の若い力士に、故郷だけでなくEU諸国も熱い注目と賞讃を注いでいる。2006年にはEUより12カ国を表す星のデザインをベースにした化粧まわしも贈られている。全勝には星が3つ足りないが、“残りは自分の力で勝ち取る”として受け取った大関。その前向きで真摯な姿勢が世界中のファンをも魅了し、相撲の魅力を広く伝える親善大使の役割も果たしている。
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レスリングでの金メダルを諦め、いざ日本へ。

























